監督/脚本は、東京藝術大学で黒沢清に師事し、濱口竜介、瀬田なつきらに続く新鋭、眞田康平。
はっぴいえんどの名曲「しんしんしん」にインスピレーションを受け書き上げたオリジナル脚本は、初長編にして新人とは思えないスケール感をもつ叙事詩。失われつつあるような懐かしい風景を旅する「家族」をとおし、不断に変化し移ろいゆく世界と、だからこそ惹かれあい結びつこうとする姿を情緒的に描いた。
主人公・朋之には、『カナリア』での瑞々しく鮮烈なイメージが印象に残る石田法嗣。不器用な態度の中に秘めた感情の奔流を見事に演じきった。朋之のほのかな思いを受けとめ、ときに彼を導くヒロイン・ユキに『俺たちに明日はないっス』や近作『恋に至る病』で主演をつとめた我妻三輪子。あるときを境に決定的に失なわれてしまうような種類の美しさを刻みつけている。
共演に、園子温作品での活躍目覚ましい神楽坂恵。また洞口依子、佐野和宏などの名だたる俳優陣が揃った。
それぞれが、容易く希望を語らず、喪失を引き受け見つめようとする眞田監督に深く賛同し、何かを失なってしまった事を背負って生きる人々の本質をありありと体現している。それはまるで、本当の家族が寄り添っているかのようにさえ見える存在感を映画に与えた。
高校生の朋之は、テキヤの一家で暮らしている。実の息子に思いをはせる芳男を先頭に、行くあてがなく血の繋がりもない人々が寄り集まって作った「家族」であり、それぞれが清算しきれない過去を背負っていた。ユキが「家族」に加わるが、突然の取り壊しにより家そのものが無くなってしまう。帰る場所を失った「家族」は、それぞれの行き先を見つけるためトラックで巡業の旅に出る。
朋之は「家族」を代用品と言いつつ、誰よりもその幸福を願った。誰かの温もりをほしがったユキには、無垢や傷つきやすさと別れねばならない時がきていた。「家族」の大人たちは喪失の中で傷から血を流し続けた。朋之は走り始める。すべてが手遅れになる前に。
1991年生まれ。東京都出身。女子小中学生向けファッション雑誌『ニコラ』(新潮社)の第6回読者モデルオーディションでグランプリ受賞し、以後同誌の専属モデルとして主に活動。2005年に『チェーン 連鎖呪殺』で映画デビューを果たす。その後『僕たちに明日はないっス』(2008年)をはじめ、2011年は『恋の罪』『センチメンタルヤスコ』『恋に至る病』など多数の映画に出演。またテレビドラマ『らんま1/2』や舞台「絶頂マクベス」(劇団・柿喰う客)など話題作に出演し注目を集めている。
1990年生まれ。東京都出身。幼い頃から芸能活動をスタートし、テレビドラマなどに数多く出演。映画でも『リターナー』(2002)、『半落ち』(2004)、『バーバー吉野』(2004)と話題作に出演を重ねる。2005年映画『カナリア』で主演・岩瀬光一役に抜擢され、毎日映画コンクール・スポニチグランプリ新人賞を受賞。若手実力派俳優の一人として注目を集めている。その他の主な出演作品に、NHK『朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」』、日本テレビ『終戦60年スペシャルドラマ「火垂るの墓-ほたるのはか-」』、映画『恋しくて』主演、『少年メリケンサック』ほか多数。
1984年生まれ。宮城県出身。UPSアカデミーにて奈良橋陽子、米倉リエナに指示し映画、舞台、音楽PVに出演、幼少時代からダンスをしていて、舞台の振り付けなどでも活躍。主な出演作品に「インブジブルモンスター」「リアル鬼ごっこ5」「ヘブンスベル」。舞台「二十日鼠と人間」「桜」「十二人の怒れる男」監督とは東京藝術大学での最初の撮影実習で組んでからの仲。今回、監督は兄の裕也役を宛書きで書き、一番最初に出演が決まった。
1981年生まれ。岡山県出身。2004年グラビアアイドルとしてデビュー。その後女優に転身し『遠くの空に消えた』(2008)で映画デビュー。主な作品に映画『ヒミズ』『恋の罪』、『十三人の刺客』『プライド』。また『冷たい熱帯魚』での演技が評価され、園子温監督作品の常連として、その熱演が大きな話題を呼んでいる。2011年10月園子温と婚約を発表。
神奈川県出身。CFなどのパーツモデルとして活動。これまでに、日本テレビ『魔女たちの22時』、スチール『パナソニック「ラムダッシュ電気シェイバー」』『ボシュロム レニューコンタクトレンズ洗浄液』などに出演。 今作では、旅の途中から加わる売春婦という繊細な役を演じている。
1984年生まれ。奈良橋陽子主催のUPSアカデミーにて演劇を学ぶ。卒業後は舞台・映画で活動。これまでに「惑星のささやき」(映画)「やすしくんへ」(舞台)など。監督とは、東京藝大一年次の夏期撮影実習「おめでとありがと」からの仲。前作ではコメディの主役としてコミカルな演技を見せたが、本作ではうってかわって、『父親の本当の息子』というシリアスな役を演じきった。
1965年生まれ。東京都出身。1985年黒沢清監督『ドレミファ娘の血は騒ぐ』で映画主演デビュ-。以降、伊丹十三監督の『タンポポ』『あげまん』ほか多くの映画、テレビドラマに出演。また黒沢清監督作品の常連として、『CURE』『カリスマ』にも出演している。2007年には自らの子宮頸がん体験を綴った『子宮会議』(小学館)を発表。ウクレレバンド「パイティティ」での活動など、多彩な才能を見せている。
1956年生まれ。静岡県出身。監督作はドラスティックでメッセージ性の強い作品を作る作家として評価され、ピンク四天王の一人として挙げられている。俳優としては、明治大学在学中から松井良彦監督の「追悼のざわめき」や「どこに行くの?」、石井聰亙監督の「狂い咲きサンダーロード」などに出演。俳優として活動する傍ら、1989年「監禁 わいせつな前戯」で監督デビュー。本作の撮影後の2011年、病に倒れ声帯手術を行う。現在、現場復帰に向けて英気を養っている。
眞田康平 Kohei Sanada
1984年石川県出身。2007年、金沢大学教育学部卒業。その後株式会社ピラミッドフィルムに制作部として勤務。CMの制作現場を経験する。 2009年、東京藝大大学院映像研究科入学。主な監督作品に『脱皮する』(07)、『奴らは音楽している』(07/“世紀のダ・ヴィンチを探せ”国際アートトリエンナーレ入選)、『おめでとありがと』(09)、オムニバス映画『紙風船(第二話「命を弄ぶ男ふたり」)』(10)。今作『しんしんしん』(11)にてNIPPON CONNECTION(ドイツ)に参加。
日本中がTVの中だと言ったのは誰だったか、現在はどうだろうか、インターネットの中か、どうもそんな感じがしない。
かといって何かの中にあるのかというと、それでもなく、自分がどこにいるのか分からない。何時からだろうか。昔とか、今とか、未来とかそういった測りになるようなものが幾分か緩くなっている。
自分が感じている現在は2011年の撮影現場であり、2002年の高校の美術室だったりする。果ては2005年頃の金沢の片町の裏路地や1999年の中学校の校庭もそうだ。
思春期の僕にとって20年前が70年代なように、今の若者にとって90年代が20年前だったりする。ノストラダムスはどうなったのか。世紀末は何の終わりだったのか。清算されないまま、思い出になってしまって、殆どのその果たされなかった何かが積み重なって、場末のスナックの古ぼけた台所に貯まっているのを感じる。
はっぴいえんどを初めて聞いたのは、高校生の時で、「しんしんしん」はキセルのカバーだったように思う。七尾のみやこ音楽堂でCDを買った。それから時間があいて東京で「ゆでめん」を聴いた。そのとき僕は就職活動中だった。
大学の時好きだった女の子が結婚した。高校生の時、実家の犬が死んだ。美術部の先生も亡くなった。地元の駅前が再開発で知らない町になった。ロケハンで行った福島が地震に巻き込まれた。
欠落の連続で人生が出来ているのなら、その瞬間をおさめていくのが自分の映画らしいように思う。それでも何かひとつぐらい報われてもいいじゃないかとその曲を聞いていて思った。
ほぼ後ろ向きの現在はどの未来に繫がっているのか。
「都市に積る雪なんか汚れて当たり前という そんな馬鹿な 誰が汚した」
40年前の歌詞に痺れた。それが普遍性というものだろう。誰が汚したかなんて本当は誰にも分からないのだ。
- 染谷将太(俳優)
- 美しい映像設計。その中を自由に動きまわる役者たち。
この両立を実現した眞田監督に感服しました。 - 黒沢清(映画監督)
- 全編にちりばめられた圧倒的な水と、それを迎え撃つ鮮烈な火のイメージ。 その間隙をぬって、若者たちはまるで難民のような旅に出る。 これは神話の形を借りた青春映画なのか、それとも青春を口実にした新しい神話なのか。 何だかものすごい映画を見てしまった。
- 山中崇(俳優)
- しんしんと降り積もった哀しみ、深く染み込んでしまった虚しさは消えることはないのかもしれない。
それでも明日へ行く。
居心地の悪い荷台に揺られながら。雪解けを、そっと願いながら - 板橋駿谷(俳優)
- 秋の晴れた空ってワクワクするのに、不思議な物悲しいさがあって、その物悲しいさがずーっと続くんじゃないかって、涙出そうになって、でも、何で泣いてんのって気持ちになるから泣けなくて。
当たり前に冬が来るし、春も来るし。変わらないようでちゃんと変わってる。よし!もう一歩って前に出れる映画だと思いました。 - 松江哲明(映画監督)
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僕の好きな匂いのする日本映画だった。
ずいぶん嗅いでいなかったけど、やはり心が反応してしまう。見方は世代によって新鮮だったり、懐かしかったりするんだろうけど、本作をきっかけに出会いが増えることは間違いない。もしそんな風にこの作品が育ったら、まるで劇中で描かれた「家族」のようで素敵だなと思う。
- 森下くるみ( 女優・文筆家)
- 家族のありかた、恋人との関係、人と人の距離、生活をすること、命を失うこと、穢れを赦すこと……。幸せを希う人々の姿が、胸が苦しくなるほどに愛おしい。
かなしい人たちは、自分が何を求めているのか、それを手に入れるためにどこへ向かえばいいのかを、本当はちゃんと知っているのだ。 - 大島葉子(女優「朱花の月」「ヘヴンズ ストーリー」他)
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何かを失った人達が結びつきながら懸命に生きていく。
人はみな少なからず、なにかを失い、そしてなにかと結びつくを繰り返しながら生きていく。
「しんしんしん」はとても切ない「生の物語」だと私は想う。
それにしても、男という生き物は、幾つになっても、なんて弱くて、情けなくて、こんなにも愛おしいのだろう……。 - ペトラ・パルマー( NIPPON CONNECTION プログラム)
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何をしたら良いのか? 何をするべきなのか?
誰も分からないまま、それぞれが何かを失い、それでもつながりを追い求め、不確かな社会と関わろうとする。この結末は想像できなかった !
眞田康平は「逃げ出したい。でもつながり合っていたい。」という人間の性を見事に表現しきったのだ。 - 筒井武文(映画監督)
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河原で焚き火を始める高校生(石田法嗣)の背後に現れた豆粒のような人影が少女(我妻三輪子)だと知れるワンショットで、この映画の途方のなさが予感されるが、その期待は裏切られないどころか、現代日本映画に一石を投じる反時代的な野心作であることに驚愕させられる。
手放した実の息子への郷愁を引きずりながら身寄りのない子を引き取って育てているテキヤの親父を演じる佐野和宏が自らの集大成のような存在感で圧倒し、彼を庇護するようなスナックの女主人役の洞口依子も素晴らしいが、彼女と別れて旅立つ瞬間から、ひとりひとり人数を増やしながら進むロードムーヴィとしての本作の魅惑が際立つ。
トラックの荷台にて修学旅行気分で戯れる男女を描いた場面の美しさを始め、各人の感情がひたすら切なく、また迸る。
佐野の息子を探しに行った石田が、そのアパートで正気を失った我妻に再会する場面の前後の不意の距離感の喪失は、まるで今村昌平の映画に鈴木清順の画面が挿入されたようではないか。水辺で火が焚かれる場面の反復に、監督眞田康平の物質的な想像力が伺われる。擬似家族の崩壊と再生を描いた壮大な叙事詩の誕生である。
プロデューサー : 山田彩友美 撮影:西佐織 録音・整音:宮崎圭祐 美術:有馬佐世子 編集:片寄弥生 ヘアメイク:橋本申二(atelier ism®)/畑中嘉代子(atelier ism®)
助監督:松尾健太 制作担当:佐藤圭一朗 音楽:島松祐介 重盛康平
製作:東京藝術大学大学院映像研究科 配給・宣伝 : 諸田創 宣伝協力 : 酒井慧/畠佑輔/SPOTTED PRODUCTIONS